written by

kada-lab

コラム

組織ぐるみで未来を開く

この記事は2020年12月13日 朝日新聞「加太まちダイアリー」に掲載されたものを一部編集したものです。

 私は現在、東京大学生産技術研究所川添研究室が加太に設置した分室に、常駐研究員として勤務しています。大学の一研究室が学外に研究拠点を構えることは本来容易なことではなく、にもかかわらず実現できた背景には、受け入れる側の加太に強固な地域組織があったことが大きいと考えられます。

 まちづくり活動には、個人ができることと組織としてできることがそれぞれあると思いますが、地域に対して熱い想いを持った個人の集まりが、組織になることで一層活動の幅が広がるということを加太地域から学ぶことができます。今回は、ここ数年の加太のまちづくり組織についてご紹介させていただければと思います。

加太のまちづくり組織

 加太では2010年ごろ、漁業の担い手である漁師さんの著しい減少や小中学校の生徒数の減少、空き家の増加といった形で、地域の衰退が誰の目にも明らかになっていました。そこでこれらの課題を横断的に議論する場として、住民が主体となり「加太地域活性化協議会」が組織されました。

 この協議会は、元々加太に存在する「加太漁業協同組合」「加太観光協会」そして住民組織である「加太連合自治会」の3組織が加盟して設立されました。本来は別々の理念の元に活動している各組織が、地域の未来を見据えるためにこれからはまちづくりの視点で協働していくべきだという考えに至り、漁協・観光協会・自治会の長が役員を務めることで、地域内の漁業・観光・暮らしのバランスをとる仕組みとなっています。

 それぞれの長の世代構成は、上から80代の自治会会長、60代の漁協組合長、40代の観光協会長となっており、協議会はこのような多世代が互いの考えやふるまいを受け入れ 、尊重し合いながらの活動になっているとも言えます。

 また協議会は議論だけでなく実践の場として「こんなことをしていきたい!」という思いを持った人たちが班ごとに自由に活動する形をとっており、語り部くらぶや、お土産開発チーム、大学生のロケット実験打ち上げ協力チームなど少しずつ増えていった結果、現在では10を超える班が活動しています。

 こうした活動と並行して、協議会内で度重なる意見交換と議論がなされた結果、利益を創出しながら持続的かつ実践的な事業を行なっていく必要性から、2015年に「加太まちづくり株式会社」が設立されました。

 このまちづくり会社も、連合自治会長を社長、漁協組合長と観光協会長を役員とした組織体制とすることで、地域全体のことをバランスよく考えて取り組める体制になっています。そしてこの頃、我々川添研究室のフィールド活動も始まることとなり、後の加太分室設立時の受け入れについても協議会とまちづくり会社がその中心的な役割を担いました。

 協議会やまちづくり会社それぞれの活動や事業を一つずつ紹介することは紙幅の都合で割愛しますが、適切に系統だった組織体制でまちづくりを行なっていくことで、地域理念の明文化や学術機関の受け入れ、事業の受託や補助金の申請など、個人ではできない多くのことが可能になります。

 加太では、元々の生業組織の強固さに加えて、地域の衰退が危機感として幅広く共有されたこと、若手の働きかけに応えて世代を越えた対話が実現したことなど、住民主体のまちづくり組織誕生の条件が揃ったことと思いますが、この稀有な組織的取り組みが現在の加太の前向きなエネルギーの一端となっているのは間違いないと思います。