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kada-lab

コラム

漁業文化の継承について想いを馳せる

この記事は2020年8月16日朝日新聞「加太まちダイアリー」に掲載されたものを一部編集したものです。

 加太で暮らすようになって、これまで以上に漁業文化に関心を持つようになりました。漁業文化と一口に言っても、加太とその隣の磯ノ浦、少し先の雑賀崎といった地理的に近い漁村同士でもかなりの違いがあり、ましてやもっと目を南に向けて鯨漁の太地町やマグロ漁の勝浦など、湾ごとに全く異なる漁法で異なる魚を獲っています。現地の漁師さんが大事にしていることもそれぞれにあり、漁業はとても多様性に富む文化です。

 少し前になりますが、長い間の念願だった、三重県鳥羽市にある「海の博物館」を訪れました。この博物館は、地域で海民(かいみん)と呼ばれる漁師さん・海女さん・船乗り・海辺に暮らす人々が、海と親しく付き合ってきた歴史と現在の様子を伝える博物館で、約6万点にのぼる所蔵資料のうち6,879点が国指定重要有形民俗文化財という、圧倒的な質と量の展示を誇っています。

 国内外にわたる漁業文化の資料の中でも、特に伊勢志摩地方の漁具や木造船の展示が非常に充実しています。志摩の漁業は、沿海から遠洋へ、人力から機械力へ、漁網も麻などの天然素材から化学系繊維へ、そして船も木造船からFRP船へと変化しており、時代とともに変わる漁業文化を紹介しています。

 特に圧巻なのは、全国から集められた木造船80隻が所狭しと並ぶ収蔵庫です。海上での漁労は下手をすれば命を失います。そんな作業を支える船は、土地ごとの材料と、その時点で実現可能な技術の範囲で考え抜かれた合理性を伴って成立しており、その形状が時代とともに変化してきたのが分かります。

海の博物館 木造船収蔵庫 全国から集められた木造船を間近で見ることができる
(2020年7月 筆者撮影)

 実はこの博物館は、建築分野でもとても有名です。建築家の内藤廣氏が7年かけて全体の完成をみたこの博物館は、多くの建築や芸術の賞を受賞しました。当時の建築雑誌の解説で、内藤氏は「構造の合理性、構法の合理性、素材の合理性、それらをいかに経済的に組み合わせるかにほとんどの精力を費やした。与えられた条件の中で最適解を求めるその作業は、船をつくるのに似ていたといえなくもない。」と述べており、実際にこの場所を訪れると、建築と展示物の理念がしっかり合致しているような空間の心地よさを感じました。  

 漁村を歩いていると、今はもう使われていない漁具が干からびた状態で転がっていることがよくあります。加太でも伝統的な一本釣り漁を始めとした小規模漁業を行なっていますが、細かい部分では、時代の変化に伴い旧式の不要な道具も出てきます。生業として継承しつつも、部分的に過去のものとなってしまった道具たちは、おそらく住民にとってはなんということのない風景の一部であり、或いは過去の不要物品です。しかし、これらはその地域の生業や精神を伝える大事な歴史の手がかりであり、この厚みが地域固有の誇りにつながるものだと考えています。

 このような今では使われなくなった道具を、ゴミとするか宝とするかは今を生きる我々次第でもあります。非常に多くの漁港を持つ和歌山県下にも、今なお失われつつある漁具に価値を見出し、土地ごとの文化を比較できるような保管庫があれば良いな、と羨ましい気持ちを抱きつつ、紀伊半島の東から西へと帰路につきました。