written by

kada-lab

コラム

守り続けた修験の歴史―日本遺産認定へ―

役行者堂(えんのぎょうじゃどう)

 「『葛城修験』―里人とともに守り伝える修験道はじまりの地」が令和2年度日本遺産に認定されたことを記念して、6月19日に加太で日本遺産認定記念式が執り行われました。日本遺産は、地域の歴史的魅力や特色を通じて日本の文化・伝統を語るストーリーを、文化庁が「日本遺産」として認定し、この魅力を地域が主体となって国内に関わらず、海外へも発信し、地域の活性化を図ることを目的としています。

そして今回この日本遺産に「葛城修験」が認定されました。自然の中で厳しい修行を行い悟りを得るという日本古来の山岳信仰、自然崇拝に源を発した修験道は、役行者が開祖とされています。和泉山脈から金剛山脈まで連なる峰々を葛城山といい、役行者が法華経八巻二十八品を埋納したとの伝承がある経塚があり、葛城二十八宿と呼ばれています。その1番目の経塚が加太の虎島の序品窟(じょほんくつ)にあり、葛城修験の修行の道が始まる地です。この虎島は記念式が行われた行者堂から加太の海と共に望むことができます。

 加太では現在毎年春に護摩供が行われていますが、この護摩供は20年以上途絶えていた時期がありました。平成25年頃から加太の青年を中心に護摩供を復活させようとする動きがあり、平成27年に採燈大護摩供を復活させました。今年も新型コロナウイルスの影響で規模は縮小されましたが、春に護摩供が執り行われました。加太が葛城修験の修行が始まる地だという歴史を大切に、そしてそのことを後世にも語り継いでいこうとする加太の人たちの想いは今日まで絶えていません。

行者堂の前で日本遺産認定を祝う加太のひとたち

私も司会者として記念式に参加させていただきました。記念式は行者堂で行われたのですが、急な階段を上ったところにあり、さらに連日の雨で地面がぬかるんでいるにも関わらず、大勢の地元の方が参列していました。修験道が加太の人たちにとって身近なものであることを実感すると同時に、修験の精神を近世にも根付かせよう、守り続けようと努力してきた結果が身を結んだ瞬間を見届けようと集まっていることに感銘を受けました。

「里人とともに守り伝える」とあるように、古来から修験の聖地であることに誇りをもち、修験者を受け入れてきた歴史を加太に住む人が守り伝えてきました。日本遺産への認定は、修験の文化・伝統を守り続けていることが評価されたということだと思います。今回の日本遺産認定を契機に、修験の精神や伝統を守りながら、広く様々な人にこの精神を知ってもらい、さらには加太地域の活性化に繋がっていくことを期待しています。

この記事は2020年6月27日 わかやま新報「加太地域ラボ通信」に掲載されたものを一部編集したものです。