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kada-lab
まちなかで今も生きる井戸
この記事は2020年10月18日朝日新聞「加太まちダイアリー」に掲載されたものを一部編集したものです。
もう6年ほど前になりますが、初めて学生の研究チームで加太を訪れた時、まちの実態を大まかに捉えるために、目に見える色んなものを調べて回りました。その中で、東京からやってきた学生たちにとって新鮮だったものの一つに井戸がありました。水道が各家庭に普及している今でも井戸がまちなかに生きている様子は、大変印象的でした。
和歌山市で災害時の協力井戸の登録制度があること、県でも井戸の適正管理を呼びかけていることなど、多くの井戸が現役で残っていることを和歌山に来てから知りました。
加太は弥生時代の石器が出てくるほど、古くから人の生活がありました。旧市街地部分は、遠浅の港に近いという地の利をいかして、山際や海沿いの少し高い場所を中心に形成されてきました。
水防的観点から標高の少し高いところを中心に生活が広がり、暮らしのためにいたるところに井戸が掘られてきました。これらのインフラがうまく機能していたため、近代的な公共上下水の整備は比較的遅かったと言われています。当時、私たちは、観察とインタビューを通して地区内のどのような場所に井戸があり、どんな風に使われているかを調べました。
この調査で、加太の旧市街地約0・5キロ圏内に72の井戸を確認することができました(恐らく実際はもっと多いと思いますが)。このうち、およそ3分の1は現在も使用中です。
井戸があった場所も様々です。47の井戸が住民それぞれの敷地内の一角にありました。中には家を建て替えたため床下にある井戸もありました。
ほかにも、複数の敷地にまたがっていて複数軒で利用する共同井戸だったものや、路地の三差路にある、見るからに公共の井戸だったようなものまで、バリエーションがありました。
聞くところによると、かつては水質の違いによってご近所さん同士で水をもらいに行く習慣があったり、水場を中心とした人の集まりが形成されていたりしたそうです。文字通りの井戸端会議の様子が目に浮かびます。現在の個人の井戸の使い方としては、庭のガーデニングや打ち水、洗車など屋外の大量利用が主な用途のようですが、人によっては飲用水や、魚をさばくなどの炊事にも使うようです。
近代化は色々と生活を便利にしてくれました。今の暮らしは、大抵のことが自分の家で完結できてしまいます。しかし、水を分け合ったり、家に風呂がない時代は丁ごとの銭湯に行ったりするなど、ある意味でやむを得ないご近所づきあいが、互いを気にかけ合ったり、はたまたうわさ話のきっかけになったりと、コミュニティー形成につながっていたことは紛れもない事実です。助け合いを前提としたまちづくりの視点も、今後の高齢化社会では重要かもしれません。