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コラム

美浜町アメリカ村を訪ねて

この記事は2020年2月2日 朝日新聞「加太まちダイアリー」に掲載されたものを一部編集したものです。

 和歌山県には、加太同様に古くから漁業を生業としてきた地区が多く存在します。おもしろいことに、そうした漁村は同じ海を共有しているにもかかわらず、それぞれ漁法や漁獲物が大きく異なります。漁師のポリシーや集落の食文化にも違いがあって、ときには漁村であるがゆえの珍しい歴史がみられることもあります。

 先日、知人を訪ねて和歌山県日高郡美浜町の三尾を訪れました。美浜町は現在、伊勢海老漁を主に行っており、その中の三尾地区は「アメリカ村」と呼ばれています。一見すると紀伊半島によくある瓦屋根と木造住宅からなる町並みなのですが、よくよく見ると木造建築に洋室やベースメント(地下室)があったり、外玄関にポーチやコラムがあるなど洋風形式が取り入れられており、独特の住宅形式や生活文化を見ることができます。

 この地区は、1888年(明治二十一年)、当時決して裕福な漁村ではなかった三尾に住む工野儀兵衛という漁師が、カナダに出稼ぎに行ったところから、歴史が動きます。以降、明治中期から昭和にかけて、多くの住民がカナダのスティーブストンと三尾を行き来しました。工野さんのように家族を置いてカナダに渡った者だけでなく、家族を連れて行った者や、カナダで結婚した者、その子供としてカナダで生まれ育ち帰国した者、あるいはそのまま移民として居着いた者など、多くの住民たちの往来や移住によって数十年の間にカナダと美浜は縁の深い地となりました。結果として住宅や文化も他集落から見て独特な様子で現れたため、美浜に対して周囲の人々が「アメリカ村」と言い出したことがその呼び名の起源とも言われています。

カナダミュージアム外観。住宅内外の細部に個性的な技巧が見られる

 そんな三尾の住宅を補修して博物館として内部を見学できる「カナダミュージアム」が一昨年誕生しました。この小博物館には国内だけでなく、自らのルーツを探しに来た日系カナダ人も多く訪れるそうです。カナダミュージアムは、もともと当時三尾に帰ってきた移民が地元大工に建てさせた洋風住宅で、海外に行ったことがない大工が、ベースメントやメイプルの彫刻が施された建具など工夫を楽しんでつくった様子が建物の細部から感じられました。

 文化的にも大変興味深いことに、ティータイムには紅茶をたしなんだり、クリスマスカードを送り合ったりする文化があるそうです。また、三尾の高齢者の一人称は「ミー(me)」、我々を指す言葉で「ミーら」と言い、椅子のことは「チア(chair)」と呼ぶなど、歴史背景から生まれた方言がいくつもあります。まだまだ三尾への興味も書ききれませんが、実は和歌山は海外移民多出県であり、歴史的にも意識が海外に向いているようなエピソードを各地で多々耳にします。

 古くからの漁村は、山地と海に囲まれ周囲から切り離されているという地形条件のためか、あるいは生産形態のためか、農村以上に共同体意識が強いと言われます。そういったコミュニティの強さが地域の個性を色濃くさせていることを、美浜を訪れて改めて感じました。