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kada-lab
よその人 もてなす連帯感
この記事は2019年11月17日 朝日新聞「加太まちダイアリー」に掲載されたものを一部編集したものです。
私が東京から和歌山市加太へ引っ越してきて早くも一年半が経ちました。昨年、私の所属する東京大学生産技術研究所が和歌山市と連携協定を締結し、その中で川添研究室加太分室地域ラボを開室したのが昨年の夏。以降、この地域ラボのディレクターとして加太のまちの様々なことを観察したり研究したりまちの人とアイデアを出して議論しながら暮らしています。
「まち」界隈の研究者の一般的な地域との関わり方は、その対象地を年に何回か訪れ、土地の空間構造や人々の文化的な側面を調べ、外からの立場で客観的かつ専門的な視点をもってまちの将来ビジョンを描く、というスタイルです。一方で地域に研究拠点を置き活動する私のミッションは、年に数回通うだけでは拾えないまちの生活部分、すなわちそこで行われている生活行為や生業、四季折々の行事、それらを担う人々や共同体を観察し実際に参加し、外の視点と中の視点を行き来しながらまちの将来を住民と共に考えることだと考えています。
しかし、「研究」と言う枠組みだけでは拾いきれないたくさんの魅力的なことが生活をしていると見えてきます。この連載の場では、論文や研究調査報告書のような硬いフォーマットでは取りこぼしてしまうような、細やかかつ繊細な漁師町の息遣いを伝えられる、「漁師まち生活での日記」のようなものを、活動紹介や日々の考えを織り交ぜながら紹介させていただきたいと思います。
よく加太以外の人からは、加太に引っ越したと言うと加太は閉鎖的なまちではないかと聞かれることが多いです。この答えは半分イエスで半分ノーです。加太で興味深いことの一つに、人々の立場を区別する呼び名があります。まず、加太には「加太の人」と「よその人」という概念が存在します。加太の人口は2,581人で、(2019年10月現在)山・海に囲まれた土地にぎゅっと生活圏が詰まっています。このように加太と加太以外の境界が物理的に明確でまちの内外が分かりやすいため、このような区別があることは理解できます。
さらに興味深いのが、加太で生まれ育った人はいつまでも加太の人ですが、加太以外で生まれた人は何十年たっても、子ができ孫ができてもよその人という括りです。この時加太で生まれた子どもは加太の人となります。また、よその人の中でもさらに観光客から短期滞在者を「旅の人」と言います。港を玄関としていた歴史も持つ、いつの時代も外からの往来があった加太にとって、このような名称区別の概念は、閉鎖的というよりは「身内の顔とおもてなしの顔を使い分ける」といった方が正しいかもしれません。同じ加太出身者には親戚のような近さと結束があり、その連帯感をもって外から来た人をおもてなしする懐の深さがあると言っても良いかもしれません。